「天使と悪魔」の5月15日公開を前に、やっぱ前作「ダ・ヴィンチ・コード」が見たいなーと思って、はじめて観てみました。
もともと歴史も大好きだし、ストーリーも、演技も、どんどん映画の中に引き込まれていく感じがして、なかなか面白かったです。
映画の中でラスボス的立ち位置である「導師」では、導師の敗因は、いったいどこにあったのか。それは、この台詞に集約されているような気がしました。
私一人でも、この謎を解くことはできたが・・・
そう、導師は言いつつ、しかし、最期の謎解きを主人公に任せた。。その、最期の行動に全てが集約されそれまでの行動に現れているのではないか。
もしも本当に自分ひとりで謎解きができたのであれば、最初からそうしていれば、そう徹していれば、、導師の勝ちだったのではないか。一番重要な謎解きを他人に任せてしまった導師の心が敗因なのではないか。仮に、導師に謎を解く力が無かったからだとしても。
そこは、別のこの映画の中だけじゃなくても、すごく大切な要素だと思うのです。主人公は謎を解くことだけを探求した。導師はそれによる名誉、自己満足に囚われた。注視している深層心理は何か、探求する信念は何か。そんな視点から映画を観るのも、また楽しいかもしれない。